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Posted by チェスト at

2010年12月03日

薩摩義士碑はマイナー史跡?

鹿児島より、久しぶりの投稿です。

現在観光関係の仕事をしています。
それで今、薩摩義士碑や平田靫負の情報をいろいろと読んでいました。

以前、薩摩義士碑の近くを通りがかった際に、観光客らしきカップルがをみかけました。
二人は薩摩義士碑を見て「え?これだけ?」と一言。

鹿児島に来て、史跡巡りをしていたのでしょうか。
宝暦治水について詳しく知らなければ、誰もがこんな反応になるのでしょう。

かくいう私もたった今まで
宝暦治水のことはさわり程度しか知りませんでした。

*   *   *

江戸幕府によりいじわるで薩摩藩に命じられた木曽川の治水工事。
専門職人は使っちゃダメ、費用は薩摩藩負担…
そんな状況で、いっそのこと幕府と一戦を交えようかという意見も出るなか、
当時の家老・平田靫負は
「命令をことわって藩をほろぼすより,
同じ日本の国の人たちが長い間洪水に苦しんでいるのだ。
命をかけて助けるのが薩摩義士ではないか。」
と周りをなだめ、総奉行となって工事を指揮したそうです。

氾濫の激しい木曽川の治水はかつてない難工事。
「いったん引きうけたからには,薩摩藩としては,
石にかじりついてもやりとげなければならない。」と取り組むも、
病死者30数名、幕府に対する抵抗や工事方法の責任を取って自害した者は50数名にも
及び、まさに命をかけた大工事となりました。
そして、工事完了後、平田靫負自身も、
殉職者や多大な藩債を生んだ責任を取って切腹しました。

*   *   *

完成までの1年半は、どんなに長く感じられたことでしょう。
命がけの宝暦治水に重ね合わせるのは恐縮すぎるけれど、
今自分がやっている終わりの見えない仕事なんて、
それに比べれば本当にたいしたことない。
いったんひきうけたからには、しっかり責任をもっていいものを作らなければ。

史跡というのは、一つ一つが前に進む力をくれるパワースポットなのかもしれません。

by mame  


Posted by satsumame at 15:17Comments(0)